
よその国の旗を汚せば犯罪、でも日本の旗ならおとがめなし。
この矛盾おかしいと思わない政治家がいる。
3月31日、自民党本部で「日本国国章損壊罪」創設に向けたプロジェクトチームの初会合が開かれた。
日の丸を侮辱目的で損壊する行為に罰則を設けようという議論の場である。
ところが前外相の岩屋毅氏はこの場で「必要性はない」と明言し一貫して消極的な姿勢を崩さなかった。
わたしはこの報道を読んで率直に言えばがっかりした。
いや、がっかりという言葉では足りない。
呆れた、というのが正直な気持ち。
「同列に扱うのはおかしい」という論理のほうが よほどおかしい
岩屋氏の主張はこうだ。
刑法92条に定められている外国国章損壊罪は、外国との外交関係を守るための規定である。
だから、自国の国旗損壊と同列に扱うのはおかしい、と。
一見もっともらしく聞こえる。
けれど、よく考えてほしい。
つまりこの理屈を裏返すと、「外国の旗には法的な保護がある。でも日本の旗には保護する法益がない」と言っているに等しい。
自国の象徴に守るべき価値を見出せない政治家の言葉。
それ自体が、深刻な問題ではないだろうか。
さらに岩屋氏は「いま、われわれの周りに国旗が燃やされたり破られたりという事実がたくさんあるわけではない」とも述べている。
いわゆる「立法事実がない」という理屈だ。
しかし、事件が頻発してからあわてて法整備するのでは遅い。
抑止力としての法の役割を、この方はどう考えているのだろう。
実際に、翌4月1日に自身のホームページで公開した発言内容を見ると、「政治的なアピールのための立法になりかねないと危惧している」とまで記している。
連立合意に基づいた党の正式な議論を「政治的アピール」と切り捨てるその姿勢に、わたしは違和感をおぼえる。
矛盾を矛盾のまま放置する「良識」とは何なのか
そもそもこの議論の出発点は明確だ。
自民党と日本維新の会の連立合意に「日本国国章損壊罪を制定し、外国国章損壊罪のみ存在する矛盾を是正する」と書かれている。
高市早苗総理も衆院選の街頭演説で、「外国の国旗を汚したり破ったら、2年拘禁刑を受けるかもしれない。でも、日本の国旗はどう扱ってもいい。それはやっぱりおかしい」と明確に訴えていた。
これは党のトップが示した方針である。
連立パートナーとの約束でもある。
にもかかわらず、岩屋氏はPTの初会合でいきなりブレーキをかけた。
しかもこの方、過去にも同じことをしている。
かつて高市氏が議員立法として国旗損壊罪の法案を党内審査にかけた際、岩屋氏が反対して前に進まなかったという経緯がある。
何年経っても同じ壁。
同じ人物が立ちはだかっている。
岩屋氏は「器物損壊罪でカバーできる」とも主張した。
たしかに他人の所有物を壊せば器物損壊罪に問える。
だが、自分で購入した国旗を公の場で燃やすパフォーマンスはどうか。
自己所有物であれば器物損壊罪は成立しない。
ここに法的な穴があることは明白だ。
また、岩屋氏は米国の連邦最高裁が国旗損壊を表現の自由として認めた判例を引き合いに出している。
けれど、日本とアメリカでは憲法の構造も社会的背景もまるで違う。
他国の判例をそのまま持ち込んで「だから日本も不要」とするのは、あまりに乱暴な議論だ。
むしろ世界に目を向ければ、ドイツやフランス、イタリア、中国、韓国など、自国の国旗損壊を処罰する国のほうが多い。
国旗を法的に守ることは国際的に見て決して異常なことではなく、ごく自然な姿勢。
岩屋氏は「自民党としての見識・良識を示す」と言った。
しかし、外国の旗だけ法律で守って自国の旗は放置する。
この矛盾を矛盾のまま残すことが、本当に「良識」なのだろうか。
わたしは特定の政党を支持しているわけではない。
だからこそ、この問題はイデオロギーの話ではなく、シンプルな法の整合性の問題として見ている。
日の丸は、左も右も関係なく、この国に暮らすすべての人の象徴。
お正月に玄関先に掲げる旗。
オリンピックで選手の背中にある旗。
災害のとき、救助に駆けつける自衛隊の腕章にある旗。
それを侮辱目的で焼いても壊しても、法的に何の問題もない。
この状態を「国民の間に尊重する意識が共有されているから大丈夫」で済ませていいのか。
意識があるからこそ、法で裏打ちする。
それが立法の本来の姿ではないか。
「必要性はない」と繰り返す岩屋氏に問いたい。
あなたが守ろうとしないその旗はいったい誰の旗なのかと。




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