
2人の命が奪われたのに共産党はまだ逃げるつもりなのか?
3月16日沖縄県名護市の辺野古沖で起きた船の転覆事故。
平和学習で乗船していた同志社国際高校の女子生徒と船長を務めていた71歳の男性牧師が亡くなった。
14人の生徒が骨折や打撲などの重傷を負い乗員2人もけがをしている。
波浪注意報が出ていた海になぜ高校生を乗せた船が出たのか。
あの日、海上保安庁の巡視艇は「気象、海象が危ない」とメガホンで警告していた。
それでも船は止まらなかった。
事故から半月以上が経った4月2日共産党の田村智子委員長がようやく記者会見で口を開いた。
認めたのは転覆した2隻を運航していた「ヘリ基地反対協議会」に「現地の共産党が構成団体として加わっている」ということ。
哀悼の意こそ述べたものの構成団体としての具体的な謝罪や今後の対応策については何ひとつ語られていない。
しかも驚くべきことに「平和丸」を操船していた船長の身元について党関係者の名前が週刊誌で報じられているにもかかわらず
田村氏は「船長が誰かということは捜査中で、この場で述べることは適切ではない」とかわした。捜査中だから言えないという理屈。
だけど自分たちの構成団体が運航していた船で人が亡くなっているのに
それだけで済ませていいわけがない。
「真摯な対応」と言いながら中身がない共産党の姿勢
赤旗によれば、田村委員長は「日本共産党としてもこの立場で真摯な対応をしていきたい」と述べたという。
けれど、この「真摯」という言葉がどこまで空虚に響くことか。
振り返れば、事故直後の3月18日の会見では「痛切な思い」。
3月26日には「事故究明が求められる以上コメントしようがない」。
そして4月2日に構成団体であることを認めつつ船長の身元にはノーコメント。
つまり、半月以上かけて少しずつ情報を出しているだけで、被害者や遺族に対する党としての明確な謝罪は一度もない。
「事実確認を行っている」「捜査に協力する」。
そんな当たり前のことしか言えないまま、時間だけが過ぎていく。
忘れてはいけないのは、この事故で亡くなった女子生徒の遺族が、わが子が沈んだ海に向かって献花をしているということ。
遺族はnoteのアカウントを通じて事実解明につながる情報提供まで呼びかけている。
構成団体を名乗る共産党よりも、よほど前を向いて行動している。
そもそもヘリ基地反対協議会には数々の問題が指摘されていた。
海上運送法に基づく事業登録をしていなかったこと。
出航基準が明文化されておらず、船長の判断に丸投げだったこと。
「船長心得」という資料があったのに誰も存在すら知らなかったこと。
学校側に「ボランティア」と説明していたのに実際は1人5000円ずつ計1万5000円のお金が動いていたこと。
こうしたずさんな運営体制の団体に共産党が関わっていたと認めたなら組織として何を反省し何を改めるのか。
それを語るのが政党の責任ではないだろうか。
梅村みずほ氏が突きつけた「見過ごされた安全意識」
一方でこの事故の本質を鋭く突いたのが、参政党の梅村みずほ参院議員だった。
4月1日の参院沖縄・北方問題特別委員会で梅村氏はこう指摘している。
「希薄な安全意識は今回の事故のみならず辺野古の移設反対活動で従前からあった」
これはまさに、わたしたちが感じていたモヤモヤを言語化してくれた発言だと思う。
事故後もなお平和丸の乗組員が土砂搬入を阻止しようと車道に横たわりダンプカーの進行を妨害したという報道がある。
2024年6月には名護市安和で抗議活動中に警備員がダンプカーに巻き込まれて亡くなる事故も起きていた。
「一件一件対処するしかない」「どこか仕方ないのでは」と見過ごされ続けた結果ついに高校生の命が失われた。
梅村氏の問いかけは重い。
さらに梅村氏は、修学旅行で沖縄を訪れる学校に対して安全意識の希薄な抗議活動に関わる団体の情報を提供できる体制を求めた。
亡くなった女子生徒の保護者は説明会で娘が辺野古コースを選んだのは「きれいなサンゴ礁が見たかったから」だと明かしている。
政治活動の船に乗るつもりなんてきっとなかったはずだ。
保護者への十分な説明もなく、引率教員すら乗船しなかったあの日の状況を思うと胸がつぶれそうになる。
わたしは特定の政党を支持しているわけではない。
ただ、人が2人亡くなった事故で関係する団体の構成員であることを認めながら
まともに頭を下げられない政党の姿はあまりにもみっともない。
普段は「国民の命を守れ」「人権を守れ」と声高に叫ぶ共産党がいざ自分たちに火の粉が降りかかるとこんなにも言葉を濁す。
「捜査中だから言えません」は、国民に対する説明責任の放棄にほかならない。
構成団体だと認めた以上、党として何が問題だったのかどう責任を取るのか。
具体的な言葉で語るべき段階はとっくに来ている。
オール沖縄も事故後に抗議活動の自粛を発表しておきながらたった1日で撤回し翌日には座り込みを再開していた。
喪に服すとは何だったのか。
命を軽く扱っているのはどちらなのか、よく考えてほしい。
いま求められているのは政治的な立場を超えた人としての誠実さだ。
亡くなった17歳の女の子と71歳の牧師のためにせめて正面から向き合ってほしい。
それができないなら「平和」を語る資格など
この人たちには永遠にないだろう




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