
自分の祖国が攻撃されて喜ぶ人がいる。
どう受け止めればいいのだろう!?
3月1日、東京・港区のイラン大使館前に約110人の在日イラン人が集まった。
米国とイスラエルによる軍事作戦で最高指導者ハメネイ師が殺害されたことを受け急遽開かれた集会だ。
パーレビ王朝時代の国旗が揺れラップ調の音楽が鳴り響く。
参加者にはケーキやお菓子がふるまわれた。
まるでお祝いの場のような光景。
「トランプはイランを助けに来た」「ありがとう、トランプ」という声が上がる。
主催団体の男性は、ハメネイ師を「世界最高の独裁者でテロリストだった」と断じた。
「他のやり方は分からない」という苦悩
この集会で、専門学校生のペラバニ・ローハムさん(28)が語った言葉が胸に刺さる。
「ハメネイ師はイラン国内のデモの参加者を数万人単位で殺した。それをトランプ氏が助けた。喜んでいるしうれしい」
だが、今回の攻撃では小学生を含む民間人も犠牲になっている。そのことを問われると、彼は複雑そうな表情を浮かべた。そして、こう漏らした。
「そのこと(=米国による軍事攻撃)でしか、みんなが自由になる道がない。他のやり方は分からない」
この言葉の重さを、わたしたちはどれだけ想像できるだろうか。
イランでは昨年末以降、イスラム教の厳格な戒律への反発から反政府デモが各地で発生している。当局は武力で鎮圧。数万人単位の犠牲者が出ているとされる。街中で銃を乱射され、若い命が次々と奪われていく日常。
解体業のナシール・ハルヴィジさん(61)は現行体制についてこう訴えた。「苦しい思いばかりだ。お酒もディスコも音楽も洋服もダメ。表現の自由も一切ない」
1979年のイラン革命から半世紀近く。宗教と政治が一体化した社会で、人々は息を潜めて暮らしてきた。外の世界を知る在日イラン人にとって、その閉塞感は計り知れないものがある。
集会を運営したエサニ・マジアルさん(52)は、ハメネイ師の死亡を聞いた瞬間をこう振り返った。
「(イランでのデモに参加し、当局の鎮圧で)亡くなった若者の顔が浮かんで、泣いた」
彼らは喜んでいるのではない。泣いている。
長年の抑圧と犠牲への想いが涙となってあふれ出たのだろう。
「敵の敵は味方」が意味するもの
ある参加者の男性は、取材にこう語った。
「僕らのやっていることをおかしいと思うでしょ。自分の国が攻撃されて…。だけど、敵はトランプじゃない。敵の敵は味方だ」
この言葉が、すべてを物語っている。
わたしは日本で生まれ育った。平和な社会で暮らし、政府への不満があれば選挙で意思表示できる。デモに参加しても命を奪われることはない。
当たり前だと思っていた自由が世界のどこでも当たり前ではないことを、あらためて突きつけられる。
もちろん、民間人を巻き込む軍事攻撃を手放しで肯定することはできない。小学生が犠牲になったという報道を聞けば、胸が痛む。
けれど、内部からの変革が不可能な独裁体制のもとで、どうすれば自由を手にできるのか。その答えは、外から見ているだけのわたしには出せない。
日本のメディアは、この在日イラン人の集会をどれだけ報じただろうか。「米国とイスラエルがイランを攻撃した」という事実だけでなく、そこに至る背景や、当事者の声を伝えているだろうか。
攻撃を受けた側の国民が、攻撃を歓迎している。この矛盾した現実を、表面的な善悪の構図で片づけてはいけない。
彼らが望んでいるのは戦争ではない。自由だ。音楽を聴き、好きな服を着て、思ったことを口にできる日常。それが「敵の敵は味方」という絶望的な言葉でしか表現できない現実が、確かにそこにある。
イラン大使館前で揺れていたパーレビ王朝の国旗。
それは、約半世紀前に失われた自由への郷愁であり
まだ見ぬ未来への希望でもあったのだと思う。




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