
「戦争反対」と叫ぶなら、なぜ当事者のところへ行かないのだろう。
3月19日夜、国会前で「イラン攻撃許さない!高市政権から平和憲法を守り生かす」をテーマにした抗議デモが行われた。
主催者発表で1万1000人が集まったという。
共産党の山添拓政策委員長が登壇し訪米中の高市早苗首相に対して「米国に『戦争をやめろ』と求めることだ」と訴えた。
ちょっと待ってほしい。
本当にアメリカのイラン攻撃をやめさせたいのであれば
抗議の矛先はどこに向けるべきだろうか。
高市首相は確かに日米同盟の維持を重視している。
だがイラン攻撃を決断したのはトランプ大統領である。
日本の国会議事堂前で「高市やめろ」と叫んでもワシントンには1ミリも届かない。
わたしが不思議でならないのは、なぜ彼らは駐日アメリカ大使館前でデモをしないのかということ。
アメリカ大使館前では「約60人」という現実
調べてみると、実は3月1日に駐日アメリカ大使館付近で抗議活動は行われていた。
市民団体「戦争・治安・改憲NO!総行動」が主催し集まったのは約60人。
市民とほぼ同数の警察官が周囲を固めていたという。
なんと1万1000人と60人。
この差は一体なんなのか。
本気でアメリカに抗議したいならアメリカ大使館前に1万人集まればいい。
世界のメディアが取り上げるかもしれない。
トランプ政権に対する日本国民の意思表示としてそれなりのインパクトを与えられるはずだ。
しかし、彼らはそうしなかった。
代わりに選んだのは、高市首相を批判するという行為。
「憲法を変える首相は要らない」「高市さんの暴走を止める」と声を張り上げていた。
これでは「イラン攻撃反対」ではなく「高市政権反対」がメインテーマに見えてしまう。
山添氏は「9条があるから違法な戦争には協力できない大義がある」と語った。
「9条が働いて働いて働いて」とも。この表現は印象的だが、現実の国際情勢に対してどれほど有効なのか。
アメリカに「やめろ」と言えない野党が、なぜ日本政府には強気で迫れるのだろう。
社民幹事長の発言に感じる違和感
さらに驚いたのは、社民党の服部良一幹事長の発言だった。
彼は沖縄県名護市辺野古沖で起きた船転覆事故に言及し「そもそも辺野古の新基地建設をいつまでも続けるのが悪い。埋め立てるのが悪い。こんなことをしなかったら、こういう事故も起こり得なかった」と述べた。
この事故では同志社国際高の生徒ら2人が亡くなっている。平和学習のために訪れていた若者の命が失われた悲劇だ。
原因究明や安全対策の議論こそ必要な段階で、なぜ「埋め立てが悪い」という政治的主張にすり替えるのか。
聴衆から「そうだ!」という声が上がったというが、わたしには理解しがたい。
亡くなった方々への敬意はどこにあるのだろう。事故の原因と基地建設の是非は分けて議論すべき問題ではないか。
すべてを政治利用するその姿勢に、冷たいものを感じてしまう。
結局のところ、このデモの本質はなんだったのか。
イラン攻撃を止めたいわけではない。高市政権を批判したいだけ。
憲法9条を守りたいのではなく改憲勢力に反対したいだけ。
そう見えてしまうのは、わたしの偏見だろうか。
もし本当にイランの人々の命を心配しているなら抗議の矛先を間違えてはいけない。
国会前ではなくアメリカ大使館前で、堂々と「トランプ、戦争をやめろ」と叫べばいい。
それができないのは、なぜなのか。
アメリカには怖くて言えないけれど、日本政府には何を言っても大丈夫。そんな甘えが透けて見える。
「平和」を掲げる人たちのそうした姿勢こそ、わたしには不誠実に映るのだ。
デモをする自由は守られるべき権利である。
しかし、その主張に説得力を持たせたいのであれば
まず相手を間違えないことが大切だと思う。




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